サイトイメージ 最新ニュース イベント情報 ごあいさつ タミフルとは 薬害タミフル脳症被害者の会について 会員被害者の現状 活動記録 報道 皆様の声 お勧め本のご紹介 要望書一覧 リンク

 

HOME>>会員被害者の現状(一覧表示)>>会員被害者の現状(詳細)

会員被害者の現状

<<前の記事へ次の記事へ>>

2005年12月31日 『中学3年生タミフル服用後異常行動』  京都府 会員

 平成の年末(2005年12月29日)に私たち家族は自家用車にて、例年とおり白馬乗鞍
スキー場にスキーに行きました。私と妻、長男(当時中学3年)、長女、次女の5人。

そして30日の夕方長男が少し体調が悪いといって早めに宿舎に戻ってきました。
食事を取り、早めに床につきました。私は長男の隣に寝ていたのですが、明け方長男が
「しんどい」といって起きたので熱を測ると39度を超えていました。朝を待って
(12月31日)白馬の救急診療所へ連れて行きました。そこでインフルエンザ検査を
してもらうと、陽性となりインフルエンザA型と診断され、タミフルと咳止め等の薬を処方してもらいました。

宿舎に戻り、息子にタミフルを1錠服用させました。
他の薬は同時に飲ますことに不安を感じたので飲ませませんでした。

約1時間後に息子は嘔吐しました。タミフルが体外にでてしまった可能性が高いと思いましたが、続けて2錠飲ませる勇気はなく、そのまま午後から家族全員で帰路につきました。息子の熱は下がらず、車中39度の熱が続きました。

午後8時頃自宅に到着し、息子に2回目のタミフルを服用させました。息子を部屋で休ませ、私たちは食事をしていました。
9時ごろに妻が「様子を見てくる」と言って、息子の部屋へ行き息子に声をかけました。

妻「大丈夫?」、息子「うん」と言った直後にベッドから立ち上がろうとしながら意味不明の叫び声を上げました。妻は必死で息子を抱きしめ(押さえ込み)ながら私に大声でたすけを求めました。私が駆けつけ、息子に「落ち着け、落ち着け」と声をかけながら、ベッドに押さえ込むように抱きかかえました。そして妻に「救急車を呼べ」と叫びました。

その間も息子は意味不明の叫び声を上げながら私の腕の中でのたうちまわっていました。
目は眼球が上転し白目をむいた状態でした。時間にして数分間後急に息子の意識がなくなり私の腕の中で静かになりました。私は息子が死んでしまったのではないかと思い、脈と息を確かめました。脈も息も弱かったのですが確認できました。

救急車がくるまでの時間がとても長く感じ、救急車のサイレンが家の前に止まった時は、大声で「早く上がってきてください」(息子の部屋は2階)と叫んでいました。
この時点で息子の息はよわよわしく、唇は紫色になっていました。救急隊員が来て、息子に呼びかけると息子は反応を示しました。救急隊員は「よし、意識はありますね」といって、息子をおんぶして、救急車へと運びました。

妻が救急車に同乗し京都第2赤十字病院へと搬送されました。
救急車の中での体温は37度台に下がっていました。
病院到着時には医師の呼びかけに対して反応を示していましたが、はっきりしない状態でした。そのまま入院となりました。さらに午前3時ごろ再び息子は大声を上げ(錯乱状態)眼球が上転しました。(体温は37.5度でした)この時点での医師の説明は、タミフルの副作用、インフルエンザ脳症、てんかん発作などが考えられるとの説明でした。

タミフルの服用を中止、リレンザの服用に変更することになりました。1月1日の午前中まで息子の目つきはおかしかった(眼球が上転)のですが、意識もはっきりし、熱も下がっていました。午後に脳波の検査もしてもらい、異常がないことを確かめました。

この時点で脳炎ではないとの診断がでました。そして2日には退院することができました。
後日MRIにて脳の精密検査も受けましたが、異常は発見されませんでした。

息子に当時のことを確認すると、妻に声をかけられたことは覚えているらしく、返事をしたと同時に頭の中が真っ白になったような気がし、その後のことは覚えていないとのことでした。次に記憶があるのが、救急隊員に声をかけられ、救急車に乗せられた時とのことです。病院での2回目の発作も記憶にないようです。

以上のことから、消去法でいくとタミフルの副作用しか考えられないのではないかと、私は考えます。

私を含め家族全員今までに何度もタミフルを服用してきました。(何の疑問や不安もなく)
しかし、一歩間違えれば息子は命を落としていたかもしれません。
医療関係者の方々は、今一度タミフルの副作用を検証していただき、被害の拡大を阻止
していただくことをお願いいたします。
<<前の記事へ次の記事へ>>